浅香山浄水場


浅香山浄水場1 浅香山浄水場2


浅香山浄水場3 浅香山浄水場4


浅香山浄水場5 浅香山浄水場6

堺市の花木は、ツツジ。その堺で、ツツジの名所といえば必ず名前が挙がるのが、浅香山浄水場。
大阪の春、ソメイヨシノが終わったあと、八重桜を楽しむサクラの通り抜けなら大阪造幣局。
しだいに初夏の趣が感じられるようになると、ここでツツジの通り抜けを楽しむのが堺市民の定番。
「大阪みどりの百選」にも選ばれている。

およそ2300本あるヒラドツツジは、樹齢70年とか。高さ3メートルを超える貯水池の堤防に植えられ、
赤・白・ピンクなどの花を咲かせた姿は、さながら「花の長城」。
ベルリンの壁が、こんなだったらドイツ統一は、何年早まっていただろう(関係ありませんが)。

もちろん、普段は非公開ですが、毎年4月末からのゴールデンウィークの時期にだけ、一般公開されます。
公開のスタートは1956年で、以来50回以上続く恒例行事となっている。
ただし、枯れてしまう木も増えているようで、往時に比べると、やや寂しくなっているらしい。

入場は無料。公開時間は10時から17時。駐車場はありません。

住所は、
堺市堺区香ケ丘5−1−80(JR阪和線浅香駅・南海高野線浅香山駅から徒歩10分)


堺ブレイザーズ


堺ブレイザーズ

試合写真1 中垣内祐一監督

試合写真2 試合写真3

Tシャツ

1939年(昭和14年)創部の日本製鐵バレー部にまで遡ることができるバレーボールの名門。
「燃えろ!鉄人」のキャッチフレーズも、新日鐵堺以来のもので、高炉の炎のような激しさをもつ。
加藤明、中村祐造、小田勝美、柳本晶一、田中幹保ら数多くの日本代表選手を輩出してきた。
子供の頃、中村祐造さんがバス停でバスを待っているところを見かけたことがあるが、
スパルタ監督そのままに、非常に険しい表情だったのを憶えている。

現在は、潟uレイザーズスポーツクラブが運営。
ジュニアの育成や柔道、ウィルチェアーラグビーなど、他のスポーツでも地域に貢献している。
監督は、中垣内祐一氏。応援団長は、中田なおき(吉本興業)なぜ?
2006年3月に終了した第12回Vリーグでは優勝し、4月の堺市政令指定都市移行に花を添えた。

本拠地は、
堺市堺区築港八幡町1番地の新日本製鐵堺体育館


へうげもの


へうげもの単行本

千利休像 今井屋敷跡

「へうげもの」のローマ字表記は、「Hyouge Mono」となっており「ひょうげもの」と読むらしい。
講談社発行の「週刊モーニング」に連載中のコミック。作者は、山田芳裕氏。

「群雄割拠、下剋上の戦国時代。立身出世を目指しながら、茶の湯と物欲に魂を奪われた男がいた。
織田信長の家臣・古田左介。天才・信長から壮大な世界性を、茶聖・千宗易(利休)から深遠な精神性を学び、
『へうげもの』への道をひた走る。生か死か。武か数寄か。それが問題だ!!」と、単行本の裏表紙に。

コミックは読まない人間なのですが、電車の中で大学生が黄色い表紙の
単行本(写真=上左)を読んでいる場面に遭遇。
「へ・う・げ・も・の」って何だ!と関心を惹かれ、覗き込んだら、古田とか、茶とかの文字。
「ははぁーん、古田織部の話なのか」と、得心。してみると、堺とも関係があるのか・・・?
ということで、書店で買い求めたしだい。

古田織部は、1543年(天文12年)の生まれで、名は重然、通称は左介。美濃の人で、織田信長・
豊臣秀吉に仕えた3万石の大名。利休に茶を学び、利休の死後に一流をなした。
江戸幕府2代将軍・秀忠などに茶法を伝授、陶器の織部焼にも名を残している。

「へうげもの」には、千宗易(写真=下左)や今井宗久(写真=下右=屋敷跡地)なども登場。
様々な新解釈も交え展開していくらしい。

堺にまつわるいろいろなスポットやモノなども紹介することを趣旨としている以上、取り上げねば
なるまい、と考えたわけです。「へうげもの」ブームが到来し、堺にも世の関心が向くことを期待します。


「へうげもの」単行本は、講談社モーニングKCで、514円(税別)
他の住所は、
千利休像は、堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁の大仙公園内(JR阪和線・百舌鳥駅下車徒歩7分)
今井屋敷跡は、堺市堺区宿院町東3−1(阪堺電車宿院駅下車徒歩5分)


行基


行基菩薩誕生塚 家原寺

蜂田神社 華林寺

土塔 整備記念碑

行基は、奈良時代の高僧で天智7年(668年)の生まれ。和泉国大鳥郡蜂田郷の人で、俗姓は高志氏。
父は百済系の高志才智、母は蜂田首虎身の長女・古爾比売。

「智恵の文殊」として、受験生には知らぬ者のない(堺近辺ですが)一乗山・家原寺(写真=上右)は、
行基が生誕地に開いた寺で、境内には誕生塚(写真=上左)もある。

近くの蜂田神社(写真=中左)は、母方の蜂田氏ゆかりの神社。
母の古爾比売の生誕地・華林寺(写真=中右)もすぐ近くにある。

行基は、官寺(公的なお寺)で法相宗を学んだものの、郷里に戻って民間布教に注力した。
信者の力を借りて、寺院や池、水路、道路、布施屋などを各地で開いた。このため、和泉や河内には、
行基の功績とされる施設等が多く残っている。しかし、そうした行動は僧尼令に違反するとして
禁じられたが、後になって公認され、東大寺の大仏建立の勧進に協力、大僧正となった。

大野寺の土塔(写真=下左)も、行基によって建設が始められたとされている。
日本で唯一の土で作られた仏塔で、一辺が約53メートル、高さ約9メートルのピラミッド状の形態。
瓦積み基壇の上に13層に土でつき固め、各層に瓦が葺かれていた。
荒廃が激しかったが、現在は土塔町公園に整備され、あらためて瓦を葺く工事も進められている。
写真=下右は、土塔町公園にある整備記念碑だが、土塔のイメージが掴みやすいので、
敢えて写真として掲載しました。

住所は、
家原寺が、堺市西区家原寺町1−8−20(JR阪和線・津久野駅下車徒歩10分)
蜂田神社が、堺市中区八田寺町524(南海バス・鈴の宮団地東口下車)
華林寺が、堺市中区八田寺町59(同上)
土塔町公園が、堺市中区土塔町2143−1(南海バス・土塔下車)



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