自治体外交のススメ

                             経済ジャーナリスト・林 龍一


[竹島と自治体交流]


 日本海に浮かぶ孤島、竹島の領有を明治政府が宣言して、昨年で1世紀の歳月が経過した。韓国政府が東海という呼称を
主張する日本海の100年間は、戦争の世紀であった。現在も竹島の帰属を巡り日韓政府は摩擦を繰り返すが、それでも
日韓間で個人や自治体の交流は途絶えることなく続いている。
 竹島の島根県告示から100年目の2005年3月、島根県議会が「竹島の日」を制定した。案の定、日韓政府の政治摩擦に火を
注ぐ結果となった。一見すると愚挙と思える島根県議会のとった行動には、自治体と住民の外交上の可能性を秘めている。
 国家は国民と領土を守るという使命と役割を負う。国家主権ともいうべき、この権利は国際社会では国家間で相互承認されて
いるものだ。あえて付け加えるなら、個人は「国民」と同義語ではないし、1億人の個人が日本という島に集まったら、それだけで
「国民」というのではない。「国民」という集合の意志、つまり、「日本」を構成している「国民」の間で共有される価値や規範は、個人の
外側にあって、個人の行動を束縛する。その代わり、国家は国民の安全と財産を保護する。この論理でいうと、日本国が日本人と領土を
守れなければ、国民は国家を指弾する権利を有する。
 島根県のとった行動は、まさにこれである。「竹島の日」は竹島を実効支配する韓国に向けられたものではなく、「竹島」の周辺で
生活する島根の「国民」の”保護”を放置した日本国政府への批判と抵抗という性格を帯びている。島根県民は、国家の宿命ともいえる
国境線をめぐる権力政治を追求したわけではない。「島周辺の海で安全に漁業をしたい」。そんな願いが実現するように、「対立の
歴史認識を両国で克服すべく、努力して欲しい」。素朴な生活する権利を要求したのが「竹島の日」の制定だった。いわば、両国政府の、
国境に拘泥する面子に対する反旗であった。


[平和と協調の自治体外交]


 1893年の米国・ノースカロライナ州ニューベルン市とスイス・ベルン市の提携が、姉妹自治体のさきがけとされる。本格的な越境型の
自治体交流時代は、1956年のアイゼンハワー大統領によるピープル・トゥ・ピープル・プログラム(市民間交流)の提唱がきっかけになり、
それ以降、姉妹都市提携は全世界の主要都市に広がった。
 東アジアでの姉妹自治体第1号は、1955年の長崎市=米・セントポール市の交流である。1978年の中国の改革開放を境に、日中韓
3カ国で自治体交流は新時代に突入した。各国とも自治体交流初期は、米国主要都市との交流が中心だった。政府の対外政策の変化に
伴い、日中韓、豪州・ニュージーランド、ASEAN諸国へと交流の地理的範囲も拡大していった。特に、冷戦終結後、中韓国交正常化などの
東アジア諸国の関係改善により、東アジアの姉妹自治体は飛躍的に急増した。
 住民の身近な生活と接点を持つ自治体の行動原理と国家の原理は、「似て非なる」というより、別次元といえるだろう。それは国境を
違える自治体共通の傾向だ。過去に政治家の発言がきっかけとなって歴史認識問題の逆風が吹いても、日韓都市間の姉妹都市交流は
継続している。なによりも、自治体には軍隊がない。敵対と対立を前提とした同盟外交のような、きな臭さもなく、あくまでも、活動の出発点から
平和的・協調的な友好や協力を求めるのが、自治体外交の最大の特徴だ。
 もちろん、姉妹都市提携には、儀礼的な関係も少なくない。自治体外交の力量の限界といえばそれまでだが、政治統合を実現した欧州の
事例でも明らかなように、経済、政治、環境問題の各面で、それぞれの国家、EUとの間に補完的な関係が出来上がり、戦後の欧州の
秩序形成に重要な役割を果たしてきたのが、自治体外交でもあった。
 確かに欧州の自治体と比べると、日本およびアジアの自治体外交上の役割は、まだまだ未熟といわざるを得ない。何よりも、国家の
政治制度の一部になっている中国共産党下の地上自治体と、民主国家である日本や韓国とでは、自治体の定義からしてまったく
違ってくる。東南アジア諸国についても、中央集権的な開発独裁から民主的な体制へと移行したばかりだ。だからこそ、東アジアの
自治体外交の広がりに期待ができる。
 バブル崩壊から15年以上が経過し、日本経済は自律的な景気拡大の足取りを確かなものとしつつある。中国はじめ東アジア経済との
相互依存関係の深化が、日本経済のそうした好況の要因になっているのは、衆目の一致するところだろう。
 かつてアジア諸国の都市と日本の自治体交流というと、日本の都市の豊かな資金力と技術力、アジア諸都市の低廉な労働力を合体させ、
地域経済圏の創設を展望したものが多かった。しかし、この10年の間に日本の国と地方の長期債務残高は800兆円を突破し、財政は
危機的な状況にある。東アジアとの自治体交流と外交に新しい活路を見出し理由がここにある。


[アメリカ一辺倒でいいのか]


 これまでの実績では、日本の自治体が締結した姉妹都市提携は2006年3月現在で、1078件。このうち、アジア諸都市との提携は42%、
米国諸都市との提携はちょうど40%。国別では、ダントツで米国の都市との提携の割合が多い。米国の都市との交流の比重が重いことが
悪いというわけではない。アジアとの交流を地道に取り組んできた島根の場合、8割が韓国、中国の都市との交流だ。日本海側の都市が概ね、
政治的な逆風を乗り越え、東北アジアとの交流実績を積んできた傾向がある。その内容も、行政職員と議員が儀礼的に行き来し、周年イベントで
植樹するという形式的なものに止まらず、教育や学術研究の範囲にも及び、それが将来の経済開発にも少なからず影響しつつある。
 残念ながら、大阪、京都両府の自治体は、米国との提携比率が80%という「顔はアメリカ」の構図にある。国家単位で経済競争力を順位化する
時代は終わりを告げ、経済学的に国際競争力という概念がまったく意味のないことは、米国のポール・クルーグマンが実証済みだ。都市と
都市との広域的なクラスターが、これからの繁栄と平和のカギを握る。財政悪化といって首をすぼめる必要はない。「カネもない、
智恵もない」のは、永田町の議員会館に鎮座し、国会の赤じゅうたんを闊歩する”先生”だけで十分だ。自治体と地域住民の平和と安定を
視野に、腰をすえてアジア地域の繁栄と自治体の役割を議論すべき時ではないか。くしくも、日本海の孤島をめぐる国家間対立と自治体の
構図が、自治体外交の指針にヒントを与えている。
 





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