ブランディング外伝 2006年の地方


[自治体破綻の足音・夕張市]


 2006年は、地方自治のあり方を考える上で、大きな年であったように思う。広い意味で、自治体の在り方やブランディングにも
関わる問題であり、いわば外伝編として、ブランディングの項に加えたいと考える。だらだらと長くなるが、ご容赦願いたい。

 地方自治体の破綻法制の整備が着手された中で、6月には北海道・夕張市の財政破綻が顕在化、財政再建団体に転落する
ことが明らかになった。政府は、格好のスケープゴートが現れたことで、ここを先途とばかりに厳しい対応を迫っている。いわば、
財政が不健全な自治体に対する見せしめ。私には、90年代後半の金融危機の際と二重映しに思える。大マスコミは、行政の
無責任が住民に難儀をもたらしたと伝える一方で、住民にも、その責任を問うようになってきている。「なぜ、そうした行政を
放置したのか?」と。これも同じ二重映しの構造、自己責任という言葉が日本で広く認知されるようになったきっかけは、
金融危機であったと思う。


[首長とは?]


 秋以降は、自治体の不祥事が相次いだ。わずか1カ月半で福島県、和歌山県、宮崎県の知事が逮捕された。公共工事にからむ
談合事件というのは、昔からあったことだが、今回の摘発では、比較的「改革的」「市民的」とされた知事がその中心にいた。
日本では珍しく「大統領並みの権限を握る」とも言われる都道府県の首長である。その中でも「改革的」であり、実績も残した
首長が、いたって古い構造の中にいたことになる。これも、財政問題同様、中央政府(官庁)からは「それ見たことか。権限を
委譲しても、地方ではとどのつまりが汚職事件じゃないか」との声が聞こえてきそうだ。

 自治体の首長、特に知事をめぐっては選挙でも大きな動きがあった。政治手法はともかく、財政健全化や談合防止などに
一定の成果を挙げたはずの長野県・田中康夫知事が負けた。「脱ダム」に象徴される、改革と言う政治理念が負けたという
ことなのだろうか?
 一方で、滋賀県では「もったいない」をキーワードにした嘉田由紀子知事が誕生した。膨大な地元負担までともなう新幹線
新駅建設に住民が「ノー」を宣言した、ということなのだろうか?
 正直なところ、何が敗因であり、何が勝因なのか、戸惑ってしまう。ともに、日本の他の地の首長選挙に比べ、争点は明確だった
はずだ。それでも結果は正反対にある。
 このほかにも、改革派として中央と向き合い、発言してきた岩手県や鳥取県の知事が今期限りの引退を表明した。全国知事会も、
かつてのような「(中央と)戦う知事会」ではなくなっていくのか?


[極・私的取材 沖縄県知事選雑感]

 長野や滋賀と同様、あるいはそれ以上に争点が明確で、しかも国政レベルの与野党の対立軸をそっくり映した沖縄県知事選挙が、
11月19日に行われた。結果は、自民・公明推薦で、稲嶺恵一氏の後継である仲井真弘多氏が当選し、12月10日に新知事に
就任した。共産から民主・社民・新党日本・国民新党までが揃って推薦したローカルパーティー・沖縄社会大衆党の糸数慶子氏は、
3万7000票あまりの差をもって敗れた。2006年の地方のありようを考える意味から、この沖縄県知事選について、極・私的取材を
通じた雑感を書き留めておきたいと思う。

 8月、別件取材で沖縄を訪れる機会があった。その際は、まだ候補者選考中であったため、あまり盛り上がりは感じられなかった。
しかし、重要な選挙であり、もちろん動向には注目していた。できれば、選挙後にでも、もう一度訪れてみたいとの気持ちもあった。
正式な取材でなくとも、どういう動きがあったのかを直接感じとってみたい、多少なりとも生の声が聞ければいい、という思いだ。

 選挙の終わった11月末、やりくりをつけた上で再び沖縄を訪れてみた。この間、北朝鮮の核実験などもあり、日本の安全保障という
問題が、以前よりは身近に感じられるようになったという、状況の変化もあった。さらに実感のない好況下における地方経済振興という
問題を含め、沖縄には日本の抱える問題が全て揃っているように思えた。

 恐らく、沖縄で真面目に活動されている人、あるいは、それを取材している人からすれば、「そういう見方は、予断もはなはだしい」と
厳しく指摘されるだろう。また、かつて講義の末席に座らせていただい鹿野政直先生のように、この地を「沖縄」と呼ぶべきか、
「琉球」と呼ぶべきか、はたまた別の呼称を用いるべきか思い悩むこともなく(「戦後沖縄の思想像」1987年朝日新聞社刊)、
「沖縄」という言葉を無批判に使ってしまう私だ。非難されるべきであろうことは覚悟しなければならない。しかし、それでも私にとっては、
地方を考える上で、いい機会になったのは事実。選挙直後に、ごく一部かも知れないが生の声を聞けたのは有益だった。
その半面、他の地方自治と同列に考えられる問題でないことを思い知らされたのも、また事実。率直に言えば「ぎゃふん」と
言わされた思いもする。

 誤解と非難を恐れずに語るなら、争点は基地問題ではなかった。また、それを争点とする体制は、両陣営(正確には候補者は
3名だが)ともにできていなかった。ともに候補者選びに手間取ったということもある。国政レベルの与党側である仲井真氏の
出馬表明が、9月5日。同じく野党側となる糸数氏は10月1日で、投票日まで2カ月を切っていた。しかし、時間が全てというわけではない。
何よりも、沖縄において「基地賛成」と言える候補者がいるはずもないということだ。程度の差こそあれ、基地には反対であり、
前職の稲嶺氏にしても、こと基地問題については中央(政府)との対決スタンスを採っていた、あるいは採らざるを得なかった。
だから、糸数氏が普天間基地のキャンプ・シュワブ沿岸(名護市辺野古)への移設に反対し、基地問題を争点に据えても、
それだけで支持を得られるわけではない。逆に、仲井真氏は名護市と政府で合意した「V字型滑走路」案に反対しつつも、
県内移設には含みを持たせ、失業率を本土並みに改善するといった経済活性化を柱に据えた。基地に賛成と言っているわけでは
ないので、いわば必要十分条件は満たされる。「3年以内に普天間基地を閉鎖状態に」という、内容も現実性も曖昧な公約は、
中央から一蹴されたが、今後も主張し続けていればいいわけだ。

 一方で、基地反対を唱える糸数陣営内にも、程度の差や主張の差は存在している。つまり、今回の知事選に限らず、
基地問題は真の争点にはなりえないということ。国政レベルの与野党の構図を反映していても、あるいは反映すればするほど、
争点は明確さを失う。沖縄が主権国家であったなら、話は別かも知れない。しかし、そうではない。経済負担とメリットを住民が
判断できた滋賀県知事選の方が、かえって争点が明確だったのかもしれない。率直に言って、当方の予断は全くの誤りであった。

 もう1つ、現地を訪ねて解ったこと。結果的には、争点の問題とも重なるが、反基地を掲げた陣営は、全くばらばらだった。
今年1月の名護市長選後に基地反対派の分裂があったようだが、社会大衆党を含め6党の統一候補であったはずの糸数氏陣営は
選挙期間中にまとまることがなかったらしい。反基地の市民活動をしておられる方と話したが、「初めから勝てないと思っていた」と、
あっさりおっしゃる。支持を表明するそれぞれの党派が、来春の統一地方選に向けて、みずからの党派のための活動を行ったという。
仲井真氏陣営に1カ月近くも遅れて出来上がった糸数氏のポスター。それを貼って回る党派はなかった。地域の集会においても、
来春に選挙を控えたそれぞれの党派の人間が表に立つ。地域の選挙対策事務所は置かれても、各党が様子見の立場で、
電話の1本も引かなかった。街宣カーを持つ党派も、それを知事選に活用することはなかった。全国からカンパを集めているような
著名市民団体も、選挙を一緒に戦おうとはしなかった。地元の年寄りが集まったような活動体だけが、生真面目に動いた。
結果として、基地問題を直接抱える市町村でも、仲井真氏が勝った。テレビの開票速報では、初めは糸数氏優勢を伝えたらしい。
しかし、それでも先に触れた市民団体関係者など、多くの人の口から「投票前から仲井真氏が勝つだろうと思っていた」との言葉が
聞かれた。部外者がコメントすべきではないことは承知の上だが、こと今回の選挙については「醒めていた」というのが実相に近い。

 ただし、県民に関心や問題意識がなかったわけではないことは特記しておかねばならない。選挙結果は予想されていたという
言葉の後に、必ず要因や背景を自分なりに分析する言葉が続くからだ。もちろん、その人のスタンスによって、言葉は様々。
しかし、沖縄県という不安定な存在について、常に考えていることは間違いなさそうだ。これは県民だけにとどまらない。
県外に住む沖縄出身者のブログなどにおいても、数多くの論評が見られる。あくまで主観だが、談合がきっかけだった和歌山県
知事選とその結果について触れているブログは、沖縄県知事選の場合よりも明らかに少なかったと思う。ひとつの事象(たとえば
選挙)だけに、一喜一憂するのではなく、継続的に「沖縄県」を考えている人が多いということかもしれない。

 実際、私が沖縄に滞在していた期間中に、自衛隊も含め国内初となる弾道ミサイル防衛対応の米陸軍パトリオット・ミサイル「PAC3」の
運用部隊が、嘉手納基地内で発足、実戦配備についた。沖縄県内では、もちろんトップニュース。しかし、帰阪後に全国紙の
大阪版を確認したが、全くと言っていいほど、取り上げていなかった。PAC3の運用開始といっても、地方の些事ということなのだろう。
ことほどさように「中央」から「地方」は見えにくいのが現状。それであればなおさら、「地方」を考える上では「継続的にウォッチし、
分析する」という姿勢が重要になる。

 知り合いの国際関係論の学究に尋ねてみた。「沖縄は日本の自治体の特異例か? はたまた別個なるクニか? 
どのようにとらえるべきか?」と。 学究いわく「独立国としての共同体意識は希薄になっているが、クニなり」と。

 沖縄の場合、歴史的な背景も含め、他の都道府県とは「異質」であることは間違いない。一方で、「同質」であったはずの
日本の4島(北海道、本州、四国、九州)においても、「中央(東京及び首都圏)」と「その他」では、経済的側面を中心に「異質化」が
進んでいる。日本は、もはや実質的に「USJ」となりつつある。もちろん、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンではなく、
ユナイテッド・ステーツ・オブ・ジャパンだ。政府による道州制云々ではなく、道府県は、あるいは市町村は、権限はなくとも立場的に
そのようなものであると考えるべき。かつてのように放っておいても利益の再分配がなされるわけではない。放っておけば、「中央」だけが
メトロポリスとして利益を享受する。「クニ」とまでは言わないが、みずからの住まう地域について、継続的に考え、ウォッチするという
沖縄の人たちのような姿勢を大切にしていく必要がある。
 



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